私達は1ヶ月をかけパプアニューギニア独立国にて戦場跡地を調査してまいりました。
エリアはウェワクよりマープリック、アイタベにかけて現地マタガニーチーフの案内にて、
当時の日本兵がどのように活動をしていたか、その様子が良くわかりました。
川沿いを移動し、その中で訓練を行っていたそうです。
特に印象深かったのは、田中隊長その下に松浦隊長その下に山本隊長の部隊が
3つのエリアに分散し戦争終結と共に田中隊長は軍刀にて「 もう やめろ 」と叫んで
自決をされたそうです。
当時の村の年寄り達は大変悲しんだそうです。
また今の村の年寄り達も当時 日本人が作った学校に4ヶ月ほど通ったそうです。
「さくら さくら」を学校へ行ったその年寄りが実際に歌ってくれました。
別のエリアにては遺骨も収集出来ました。
現地の方々へ日本人に対してのアンケートを500人くらいから聞き取りましたが、
誰一人 日本人の悪口を言う人はおりませんでした。
この様なことで、この全エリアのマタガニーチーフ達と共に遺骨収集するプロジェクトを
立ち上げることになりました。
私も村の長老から「YANDUO」(遠くから来た人)という名前をいただきました。

現地では山の中を調査していると おたまじゃくし・かえる・赤とんぼ・ はすの花
かわにな・蛍 を見かけました。
水も日本と同じ味がしました。
夜は南十字星を見て故郷の家族などを思い出し、家族の心配と共に早く日本に
帰りたかったことでしょう。
夜たくさんの蛍が飛びかい その光が「日本の兵隊さんの魂のように見える」と私が
言うと、現地のマタガニーチーフも「お前もそう思うか、私もそう思う」と言っておりました。
この様な事を思うと切ない気持ちで帰国しました。
帰国後しばらくしてから、私はマラリアを発症し入院。三日熱マラリアと卵型マラリアの
2種類のマラリアに感染していたことが分かりました。
ますます 当時の兵隊さんたちの大変さがわかりました。

パプアニューギニア独立国においての遺骨収集に関して

下記は現地メンバーのリポート(原文のまま)